分析用超遠心機(AUC)の歴史
1930年代:新たなBeamsの光がPickelsを刺激

「どうやら二種類の遠心機が必要なようだ。
ひとつはウイルスの濃縮精製用。もうひとつはその物理特性の研究にふさわしい光学計を備えた遠心機。」
— エドワード・ピッケル(1937)

1930年代、世界中に分析用超遠心機(AUC)のニュースが広まるにつれ、積極的な科学者らが改良に取り組むようになりました。

まず1930年代初期に、フランスの化学者エミール・アンリオ(Émile Henriot)が、圧縮空気で駆動するベアリングレスのコマによる高速回転スピードを実現した遠心機を開発します。これにより、サンプル分離のために超遠心機を使用する道が開かれました。

また、この年代には、その後の数十年にわたりAUCのアプリケーションで主流となるシュリーレン光学システムが開発され、採用されていきました。3

ジェシー・ウェイクフィールド・ビームス
(Jesse Wakefield Beams)

しかし、これらの開発にも増して、AUCの発展を促進した最も重要なステップは、アメリカの物理学者ジェシー・ウェイクフィールド・ビームス(Jesse Wakefield Beams)から始まりました。ビームスはアンリオのシステムに刺激を受け、独自の超遠心機を製造しました。この新装置はビームスの初期の装置のひとつである高速カメラを改作したものでした。

このカメラは高速回転ミラーで構成され、円錐状のコマ(conical spinning tops、訳注:今日でいうロータ)に取り付けられていました。アンリオの遠心機と同様に、そのコマは圧縮空気で駆動しました。

コマの窪み(訳注:サンプルの入る穴)を作り始めた時、実際のところビームスは小さな遠心機を作っていたのですが、彼はそれらを超遠心機と呼んでいました。なぜならビームス独自のロータを用いることにより高速回転スピード(報告では180,000~1,000,000 rpm以上)を達成していたためです。驚くまでもなく、そのような信じがたいスピードのもとでは空気摩擦によりロータが加熱され、沈降する溶液に対流を生じさせました。 ビームスはこの問題の解決に着手します。ビームスの最も有望な学生のひとりであるバージニア大学のエドワード・グレイドン・ピッケル(Edward Greydon Pickels)もまた、ビームスの発明の洗練に挑戦しました。

1935年までに、ピッケルはこのロータのオーバーヒート問題を真空で回転させるロータを用いた装置を設計することで解決しました。(これとは対照的に、スベドベリの初期の設計は、ロータを低圧水素で満たしたチャンバーに入れることを特徴としていました。)1

対流問題の軽減されたことにより、ピッケル式超遠心機は、スベドベリ式と同じく、1,000,000 x gに届く遠心力を実現しました。ニューヨークのロックフェラー医学研究センター(the Rockefeller Institute for Medical Research)の科学者らは、この事実に強く感銘を受け彼らが使用する装置のさらなる開発のためにピッケルを雇いました。ピッケルは二種類の装置を開発することになります。ひとつはウイルス濃縮のために用いた分離用超遠心機、もうひとつは粒子のサイズを測定するための分析用超遠心機です。

「二種類の遠心機が必要不可欠なようでした」とピッケルは1937年に自身の仕事について書いています。「一方はウイルスの濃縮・精製用で、これにより比較的大量の溶液を調整することができます。もう一方は、適切な光学計を備えたもので、強力な遠心力で沈降係数を決定することによるウイルスの物理的特性の研究のための超遠心機です。」7

ロックフェラー研究所における新しい同僚であるヨハネス・H・バウアー(Johannes H. Bauer)とともに、ピッケルは自身の分析用超遠心機をさらに改良しました。それは、スベドベリ式と同じく、今日のAUCとよく似たものでした。

チャンバーには2つの水晶製(クォーツウィンドウ)の窓が備わっており、そこから沈降の観察や写真撮影ができました。それぞれのクォーツウィンドウは丸い真ちゅう枠に接着され、スチールプレートにしっかりと固定されていました。また、ゴムのワッシャーが窓枠とスチールプレートの間に用いられ、真空密閉を維持していました。

上部クォーツウィンドウの上方には、メタルチューブがカメラの蛇腹につながり、埃からウィンドウを守っていました。一方でこれは迷光からカメラシステムを保護するものでもありました。写真露出のタイミングでは、電磁シャッターが底部ウィンドウの下方にある可視光の光路に挿入されました。

いくつかの小さな変更により、ピッケル/バウアーの空気駆動式超遠心機に適用された光学計は、スベドベリが設計したオイルタービン駆動式超遠心機の光学計に著しく類似していました。7

ピッケルの超遠心機のバキュームチャンバーと駆動系

ピッケルとバウアーが新しいAUC装置の設計に勤しんでいる一方、ビームスも自身の真空超遠心機のことで忙しく働いていました。自分の設計した装置を他の研究者に販売しようとしていたのです。

ビームスの真空超遠心機は一般に他のものに比べシンプルで使いやすいと見なされていたものの、そのときには科学者の間にあまり普及はしませんでした。1937年まで広く販売されていましたが、最終的に商業的には失敗しました。わずか数年後には、ストックホルムを本拠地とする会社がスベドベリの超遠心機を販売し始めましたが、それもまた商売的には期待外れでした。その原因はほぼ確実に、20,000ドルという価格のためでした。6

60,000 RPMにおける1%溶液中での結晶性卵アルブミンの沈降:20分間隔での写真撮影

常に物理に情熱を持っていたビームスは、ウランの原子同位体の分離のための超遠心機の使用における先駆者として科学に大きな貢献を果たし続け、マンハッタンプロジェクトの一部として重要な役割を果たしました。

ライフサイエンスにおいては、ビームスの元学生であるピッケルが、AUCの歴史に最も重要な貢献のいくつかを果たしました。

それでもなお、アメリカとヨーロッパにおける分析用超遠心機に対する市場の反応は冷ややかで、AUCの上昇傾向は立ち止まってしまったようでした。

事実、分析用超遠心機が商業的に成功するまで約10年かかることになります。


1 Koehler CSW. Developing the ultracentrifuge. Today’s Chemist at Work 2003:(2)63-66.
3 Serdyuk IN, Zaccai NR, Zaccai J. Methods in molecular biophysics: structure, dynamics, function. 1st ed. New York (NY): Cambridge University Press; 2007.
6 Bud R, Warner D, editors. Instruments of science – an historical encyclopedia (Garland encyclopedias in the history of science). 1st ed. New York (NY): Garland Publishers, Inc.; 1998.
7 Bauer JH, Pickels EG. An improved air-driven type of ultracentrifuge for molecular sedimentation. New York (NY): The Laboratories of the International Health Division, The Rockefeller Foundation; 1937.