Vol.20 偉大なる科学への貢献者 アーノルド ・O・ベックマン

このコーナーも今回で20回目を迎えることができました。
そこで今回は趣向を変えて、ベックマン・インスツルメント社(現Beckman Coulter, Inc.)の創始者であり、いつもお名前を使わせていただいているアーノルド・O・ベックマンという敬愛すべき人物についてご紹介したいと思います。

アーノルド・O・ベックマンは、1900年4月10日にイリノイ州の小さな農村に生まれました。彼の科学に対する関心は、屋根裏部屋にあった化学の本を見つけたときから始まります。そしてそれに応えるべく、10歳の誕生日に彼の父は彼のために屋根裏部屋を化学実験室に改装したのです。そんな家庭環境もその後の偉業と無関係ではないでしょう。

1918年4月、18歳になった彼はアメリカ海兵隊に入隊します。基礎訓練を終えて、ヨーロッパ出征のために待機しますが、1918年11月には第一次世界大戦は終結し、彼は戦場に派遣されずに済むという幸運に恵まれます。

イリノイ大学に進んだ彼は、1922年に化学工学の学位号を取得、1923年には物理化学の修士号を所得します。

その学生期間中に彼は、彼の家族を支援し彼の教育資金の助けとするために、無声映画館でピアノを演奏するアルバイトをします。これが彼のクリエイティブな才能を磨くことになります。その後の1928年にはカルフォルニア工科大学で光化学の博士号を取得します。

彼がカルフォルニア工科大学で教授として教鞭をとっている1934年に、レモンジュースの酸度分析をしている元同級生のために世界初のpHメータを開発します。このくだりに関しては、弊社Web上に“友情のpHメータ物語”という読み物を掲載していますので、ぜひご覧ください。

https://ls.beckmancoulter.co.jp/column/story-phmeter

世界初のpHメータ

そして、1935年に、pHメータを販売するためにベックマン・インスツルメント社の前身の会社を立ち上げます。

さらに彼は1940年に世界初の分光光度計を開発します。
やはりこのくだりも“分光光度計誕生の物語”というタイトルで弊社Webに掲載しています。

https://ls.beckmancoulter.co.jp/column/story-du

世界初の分光光度計 DU型

彼の科学への探究心と貢献はこれらにとどまりません。
ウィリアム・ショックレーのトランジスタ研究を財政支援するために、ショックレイ半導体研究所を設立し、後にここが中心となってシリコンバレーが形成されます。
また、彼が開発した高精度ポテンシオメータHelipotは、レーダーなどの数々の機器に搭載されます。
さらに火星探査ロボット用の“岩石粉砕機”などユニークな製品も開発しました。

これらの輝かしい業績によって、彼は数々の名誉ある賞を受けます。
代表的なものとして、次のようなものがあります

1987年 
National Inventors Hall of Fameに殿堂入り
トーマス・エジソン、アレクサンドラ・ベルらの仲間入りを果たす。
1988年 
アメリカ国家技術賞(National Medal of Technology)
1989年 
Presidential Citizens Medal
これらの二つをロナルド・レーガン大統領政権下で受賞
1989年 
アメリカ国家科学賞(National Medal of Science)
ジョージ・H・W・ブッシュ大統領政権下で受賞

その他多数の受賞歴があります

晩年の彼は
アーノルド&メイベル・ベックマン財団を設立し、数々の研究所建設、研究助成事業、および慈善事業を行い、 1999年には、Public Welfare Medal を受賞します。

そして、2004年5月18日、天寿を全うして睡眠中静かに息をひきとりました。

教育者、発明家、市民活動家、慈善家、人道活動家だったアーノルド・O・ベックマンのほんの一部だけを紹介させていただきましたが、彼の存在はベックマン・コールター社員の憧れであり誇りなのです。
また、古くからの日本のベックマン(現ベックマン・コールター)社員にとっての思い出は、彼が90歳の1990年に来日し、日本の社員に対して挨拶をしたことです。残念ながらお話の内容は覚えていないのですが、檀上で杖を持ちながらもしっかり立たれて、にこやかなお顔をしていたことを思い出します。